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本蔵 -知る司書ぞ知る(16号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年2月20日更新

本との新たな出会いを願って、図書館で働く職員が新人からベテランまで交替でオススメ本を紹介します。大阪府立中央図書館の幅広い蔵書をお楽しみください。

2016年2月20日版

ラファエル前派展:英国ヴィクトリア朝絵画の夢』(荒川裕子/監修 朝日新聞社 2014)*

 今回採り上げるのは、2014年1月25日から4月7日までの間、東京六本木の森アーツセンターギャラリーで開催された『 ラファエル前派展』の図録です。この美術展は2012年ロンドンのテートブリテンを皮切りに、米国のワシントン・ナショナル・ギャラリー、ロシアのプーシキン美術館を経て日本へやってきた国際巡回展でした。
 ここ数年、英国ヴィクトリア朝時代を中心にした美術展が毎年のように開催されています。筆者が観たものだけでも、2012年の「バーン=ジョーンズ展」、2014年の「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860−1900」、同年の「ロイヤル・アカデミー展」、さらに昨年から今年にかけて開催されている「リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」などがあります。これらの美術展のどれひとつも大阪では開催されていないのが寂しい限りですが、それを嘆くことは本稿の主題ではありません。

 ヴィクトリア朝時代とは英国にヴィクトリア女王が在位していた1837年から1898年をいいますが、この時代の英国絵画を代表するのがこの美術展のテーマとなったラファエル前派です。そしてこの国際巡回展は、テート美術館所蔵のラファエル前派の代表的名作を網羅した、モニュメンタルな美術展でした。
 展示された作品の中には、ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」や「両親の家のキリスト」、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」や「プロセルピナ」、ウィリアム・ホルマン・ハントの「良心の目覚め」などがあり、ほかにもウィリアム・モリスの「麗しのイズー」やエドワード・バーン=ジョーンズの「『愛』に導かれる巡礼」などがあります。いずれもラファエル前派を語るとき、欠くことのできない名作揃いです。
 とりわけミレイの「オフィーリア」は英国美術の最高傑作とまで言われる作品で、過去にも来日したことがあり、ご存じの人も多いと思います。この図録でも、裏表紙に使われているばかりではなく、唯一折り込みページに仕立てられるという特別扱いです。

 ラファエル前派とは、1848年12月頃に結成された英国の美術革新運動の集団です。正式な名称はラファエル前派兄弟団(Pre-Raphaelite Brotherhood)といいます。英国のロイヤル・アカデミー(王立美術院)附属美術学校で絵画を学んでいた学生のミレイ、ロセッティ、ハントの三人が中心人物で、なかでもミレイは、わずか11歳で入学を認められ、神童と呼ばれたほどの才能の持主でした。
 当時のロイヤル・アカデミーの美術教育は、ルネサンス全盛期の画家ラファエロの画風を至上のものとして、その構図や表現を踏襲することを学生に強いていました。ミレイたちは、そうした固定化・様式化し形骸化したアカデミーの美術教育に叛旗を翻し、ラファエロ以前の初期ルネサンス絵画やフランドル絵画の清新な表現に範を取ろうとしたのです。彼らが目標として定めたもののひとつに「因襲的で自己顕示的なもの、型にはまったものを排除すること」が掲げられているのは、彼らの理想を端的に示しているといえるでしょう。

 より古いものに範を取ろうとした彼らの指向は、当時の英国社会がおかれていた時代背景も含めて理解される必要があります。ヴィクトリア朝は、前世紀の産業革命の成功による資本主義の発達や、帝国主義政策の進展による著しい経済発展が国を富ませ、それは旧套的な貴族・地主階級から新興ブルジョアへの権力移行をもたらしていました。同時に、資本主義の発達の歪みによって、貧富の格差の拡大、労働争議など社会問題の深刻化が進んでいた時代でした。
 こうした急速な社会変化への反動として、中世への憧憬、復古主義の思潮が芸術文化の世界に横溢していました。その代表的な動きが、建築の世界でのゴシック・リバイバルです。天高く聳える数多くの尖塔に象徴されるゴシック建築に倣った建築物が、この時代ネオ・ゴシックとよばれて英国各地につくられています。国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)やタワーブリッジなどはロンドンの象徴的建築物として現存し、観光名所になっています。マンチェスター市庁舎もこの時代のネオ・ゴシック様式の名建築に数えられます。
 ラファエル前派の美術革新運動は、こうした復古主義の流れと軌を一にしたものであったのです。

 ラファエル前派の絵画は、ロマン主義文学や神話伝説、歴史などに材を求め、物語性の強い表現に特徴があります。同時に、徹底した写実主義を追求しました。ミレイの「オフィーリア」では背景の小さな草花のひとつひとつが、種類が識別できるほど細密に描き分けられています。植物学の教師が、実地観察に代えてこの絵の前で授業をしたという逸話があるほどです。しかし同じミレイの「両親の家のキリスト」は、その写実性ゆえに、マリアが聖母らしくない貧しい一人の女として描かれたことに対し、文豪ディケンズが醜悪と罵るなど、旧套的な批評家たちの厳しい評価にさらされました。
 こうした反動に対し、当時新進気鋭の批評家であったジョン・ラスキンがラファエル前派擁護の論陣を張り、新しい美術品を求める新興ブルジョア層が作品の買い手となったことから、徐々に彼らの芸術が浸透していきます。

 ラファエル前派は、集団としての活動はおよそ5年ほどで自然消滅しました。ハントは信ずるところの芸術を極めようと中東へ旅立ち、ロセッティはラファエル前派批判への反撥から作品の公開を拒んで神秘的・象徴的な絵画に没入し、ミレイは叛旗を翻したアカデミーに会員として迎えられました(ミレイは晩年にアカデミーの会長にのぼりつめます)。
 しかしラファエル前派の芸術は、後々まで英国のみならず美術界にさまざまな影響を残しました。
 オクスフォードで神学を学んでいたバーン=ジョーンズは、ロセッティに師事して美術家の道を歩み始め、ラファエル前派の遺産を受け継いで19世紀後半の英国美術界の寵児となりました。バーン=ジョーンズとその追随者たちは、後期ラファエル前派と呼ばれる集団を形成し、それは唯美主義につながっていきます。またバーン=ジョーンズとオクスフォードの同級生だったウィリアム・モリスは、芸術と工芸の融合を図るアーツ・アンド・クラフト運動を創始し、近代デザインの父と呼ばれました。
 フランスのギュスターヴ・モローやピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、ベルギーのフェルナン・クノップフ、オーストリアのグスタフ・クリムトなどの象徴主義美術も、ラファエル前派の影響を受けています。挿絵の分野では、バーン=ジョーンズに師事したオーブリ・ビアズリーやウォルター・クレイン、絵本作家として知られるケイト・グリーナウェイらの名を挙げることができますし、アール・ヌーヴォーの装飾美術への影響も指摘されています。
 日本美術では藤島武二や青木繁がラファエル前派の影響を受け、その系譜は竹久夢二にもつながるでしょう。蛇足ながら、夏目漱石の『草枕』にミレイの「オフィーリア」への言及があることはよく知られています。ロンドンで鬱々とした留学生活を送っていた漱石は、テートに足を運んで「オフィーリア」を観たことでしょう。

 当館では、ラファエル前派関連の資料として以下のようなものを所蔵しています。
 ラファエル前派に関する論考としては岡田隆彦『ラファエル前派:美しき〈宿命の女〉たち』や斎藤貴子『ラファエル前派の世界』、ティモシー・ヒルトン『ラファエル前派の夢』などがあります。また平松洋の『ラファエル前派の世界』はカラー図版を多く用いた概説書で、入門書として適当でしょう。
 画集には『ラファエル前派画集「女」』、『ロセッティ画集』、『サー・エドワード・バーン=ジョーンズ』、『現代の絵画4 ラファエル前派』などがあり、画集を兼ねた画家のハンディな概説書には『バーン=ジョーンズの世界』、『ジョン・エヴァレット・ミレイ:ヴィクトリア朝 美の革新者』などがあります。また美術展の図録には『バーン=ジョーンズ展』*や『ジョン・エヴァレット・ミレイ展』*などがあります。
 画家個人の研究書、評伝などとしては谷田博幸『ロセッティ:ラファエル前派を超えて』やビル・ウォーターズ『バーン=ジョーンズの芸術』などが挙げられます。
 ラファエル前派の美術作品にはさまざまな女性のモデルがいました。それらの女性について書かれた資料としてジャン・マーシュの『ラファエル前派の女たち』、同『ウィリアム・モリスの妻と娘』、スザンヌ・フェイジェンス・クーパーの『エフィー・グレイ:ラスキン、ミレイと生きた情熱の日々』があります。ラファエル前派の側面的資料としてお薦めします。(文中敬称略)

*の資料は館内利用のみです。
【鰈】

食卓一期一会』(長田弘/著 晶文社 1987.9)

 毎日の食事、一回たりとも同じということはありません。
 学食で昼ごはんにカレーライスを食べた日に、家での晩ごはんもカレーライスだったことがありました。でも、昼のカレーライスと晩のカレーライスは同じものではありません。作った人が違うし、食べている場所も一緒に食べている人も違います。そもそも昼と晩という時間が違います。まさしく、毎日いただく食事は、一期一会だと思います。
 この本は、天丼、オムレツ、冷ヤッコという食卓ではおなじみのメニューから、パリ・ブレスト、ジャンバラヤ、パエリヤといった家庭ではちょっと頑張ってみないと作れない料理、そしてシャシリック、サンタクロースのハンバーグ、アイスバインといった、どんな食べ物なんだろうと想像の膨らむ料理まで66の料理や食べ物で編まれた詩集です。あたかも、3分間で今日の料理の一品をレシピを紹介しつつ仕上げてしまうテレビ番組のように、手際よく、簡潔に、かつおいしさを引き出すコツまで披露しつつ言葉が紡がれています。
 詩人は、自分の想いや考え方、生き方来し方を言葉を選び、言葉に託してだれの心にも届く平易な言い回しで表現のできる人だと思います。言葉という素材の力を最大限に引き出すこと、それはおいしい料理を作ることにも似ているかもしれません。おいしい料理とは、食材を活かす、手際よく処理する、時間を味方につけるという側面があります。詩も言葉を活かす、手際よく表現をする、時間をかけて人の心に寄り添うことができるという部分では共通点があるように思います。
 この詩集には、料理の作り方だけではなく、食べ方についても、おいしく食べられる方法が手際よく簡潔に編まれた詩も収められています。かぼちゃ、ふろふき、ユッケジャンの食べ方、どんな詩的な食べ方があるのでしょうか。それは、一度、この詩集をひもといて探してみてください。「テキーラの飲み方」という詩もあります。
 116ページ。「テキーラの飲みかた」 21行の詩の一部分を御紹介しましょう。
 「火掻き棒みたいに
 喉にまっすぐに通すんだ。
 それがテキーラの飲みかたで、
 むやみに嘆息して
 空を仰ぐばかりなんて愚だ。」

 84ページ。「食べもののなかには」 16行の詩では、食卓から世界を考えます。
 「食べもののなかにはね、
 世界があるんだ。」

 「味があって匂いがあって、物語がある。
 それが世界なので、」

 「テーブルのうえに世界があるんだ。
 やたらと線のひかれた地図のなかにじゃない。」

 23ページ。「梅干しのつくりかた」 この28行の詩は、梅の実を洗うところから始まります。そのとおりに手順を踏めば、ちゃんと梅干しが漬けられそうです。赤いきれいな梅が土用干しされている光景まで見えてくるような詩です。
 「詩の言葉は梅干しとおなじ材料でできている。
 水と手と、重石とふるい知恵と、
 昼と夜と、あざやかな色と、
 とても酸っぱい真実で。」

 この詩集の一番最初にある「言葉のダシのとりかた」(14ページ)では、かつおぶしでお出汁をとる方法になぞらえて、言葉というものに対するこの詩人の真摯な思いが表されています。
 「他人の言葉はダシにはつかえない。
 いつでも自分の言葉をつかわねばならない。」

 詩人が丁寧につくったダシを使って作った食卓に並べられた詩の数々、召し上がってみませんか。

【霞】

外交五十年』(幣原喜重郎/著 読売新聞社 1951)*

 現在の第3次安部晋三内閣は初代伊藤博文内閣(第1次伊藤内閣)から数えて97代目、この間の首相経験者は63人いますが、そのうち大阪府出身の首相は2人います。
 一人は、現在の堺市出身で終戦時の首相であった第42代鈴木貫太郎(在任期間1945年4月~8月)、もう一人は、門真市出身で終戦後占領初期の首相であった第44代幣原喜重郎(在任期間1945年10月~1946年5月)です。
 2人とも「自伝」が刊行されており、どちらも大変興味深い資料ですが、今回は幣原喜重郎の自伝『外交五十年』を紹介したいと思います。

 幣原喜重郎は、1872年門真村の豪農の家に生まれ、大阪中学校(在学中に第三高等中学校となって京都に移転)から東大法科に進み、1896年外務省に入りました。外地勤務、本省電信課長等を経て外務次官、駐米大使となり、1921年にはじまったワシントン軍縮会議では全権委員として軍縮条約締結に尽力します。1924年加藤高明内閣で外務大臣に就任、以後4代の内閣の外務大臣として、対外強硬論を抑え、1920年代後半の英米協調外交「幣原外交」を主導しました。しかし軍部の台頭の中、満州事変によって幣原外交の時代は終焉を迎え、戦争終結までの十数年間、幣原は政治の表舞台から姿を消します。
 敗戦後の1945年10月、幣原に組閣の命が下り、73歳という歴代3番目の高齢で首相に就任しました(ちなみに首相就任時の歴代最高齢は鈴木貫太郎の77歳です)。首相として幣原はGHQの民主化改革への対応、日本国憲法草案の策定等に取り組み、内閣総辞職後の1951年、衆議院議長在職のまま78歳で亡くなりました。

 本書は、幣原が自身の経験を口述したものです。1950年に読売新聞に連載された第1部に、第2部「回想の人物・時代」を補って、1951年に刊行されました(当館所蔵資料では「人間の記録」シリーズに収録された『幣原喜重郎:人間の記録』が貸出可能です)。
 語られる時代は、おおよそ日露戦争前から幣原内閣組閣に至る時期です。ポーツマス条約の締結、ワシントン軍縮会議やロンドン軍縮会議、満州事変から二・二六事件を経て敗戦に至る時代、そして「寝耳に水」だった突然の首相就任…。特に、数々の外交交渉の話は、教科書で「○○全権により△△条約が結ばれました」とさらっと書かれる事柄の舞台裏で、外交官がいかにそれに向けて努力を積み重ねたものであるかが感じられます。また、日本をはじめ各国の外交官、政治家、軍人たちの人物評や彼らとの交友録からは、外交において権謀術数ではなく信実を旨とし、またユーモアを愛した幣原の姿勢や人柄が伝わってくるような気がします。

 幣原の伝記としては、この自伝のほかに、基本的な文献として幣原平和財団編『幣原喜重郎』が、また、近年の研究成果として『幣原喜重郎と二十世紀の日本:外交と民主主義』がありますので、あわせてご参照ください。

*の資料は館内利用のみです。
【M】